核廃絶の国民的運動の構築を
〝被爆者のいない核兵器禁止運動が迫る   2024.5.15

木戸季市さん(日本原水爆被害者団体協議会事務局)に聞く

核兵器禁止条約が発効して3年。いま、被爆者を先頭にした日本の原水爆禁止運動と世界の市民の声と運動が、諸国政府とも共同して核保有国を追い詰め、〝核兵器のない世界〟への大きな流れをつくりだしています。長崎の被爆者で、核禁条約の締約国会議にウィーン、ニューヨークと連続して参加され、その成功に力を尽くした日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局長の木戸季市(きど・すえいち)さんに4月19日、核兵器禁止条約や2025年被爆80年に向けた思いなどを聞きました。

――締約国会議に参加されての率直な思いを聞かせてください。
 核兵器禁止条約のウィーンでの第1回締約国会議、ニューヨークの第2回会議を通じて、世界の圧倒的多数の市民が核兵器のない世界を求めていると感じました。そして、国際社会はいまその方向に向かって進んでいると確信しています。
一方で、それを実現させまいと抵抗している勢力がいる。アメリカ、ロシアをはじめとする核保有国ですが、しかし彼らは自分たちが世界の中で浮いていることを理解していると思うのです。それで必死で抵抗しているというのが率直な実感です。
 私は、ニューヨークの締約国会議の冒頭で発言したのですが、被爆した一人の人間として、また日本被団協の事務局長としての訴えでした。パネルディスカッションでは、日本国民と日本被団協がこれまでやってきた活動、核廃絶の訴え、被爆の実相を話しました。それがいま世界を動かしているという印象を持っています。
 ウィーンの会議では、原爆とは何か、核兵器とは何かということをまず訴えました。その中で原爆によって広島、長崎で20万人余の住民が殺されましたが、これは〝人間の死〟ではなかったということを話しました。私自身が爆心地から2㎞の路上で被爆したのですが、母親は顔と胸をやけどし、私も顔半分をやけどしました。もしそのときに命を奪われていたらどうだったかということを考えました。なぜ自分が命を奪われるのか認識できないわけです、一瞬の出来事ですから。もしそこで命を失うとしたら誰も看取る人がいません。母親や友人と別れの言葉を交わすこともできないわけです。長い歴史のなかでそういう死があったのか。人間は最後はみんな死ぬのですが、人間として死ぬことさえも奪いとってしまうのが核兵器だと訴えました。かなりの人がびっくりした表情でした。そのことが、とても印象深く残っています。
 国際会議の場に出ると、日本の政治が極めて異常だということがはっきりと示されます。驚いたのは、圧倒的多数の参加者が、戦争被爆国の日本は核兵器禁止条約に署名・批准していると思っていたのです。私が「違いますよ。署名も批准もしていませんよ」と言うと驚いていました。原爆で被災した国が戦争を肯定しているような対応に、世界の市民、世界の国々からは理解できないとの声があがったのです。国内では、平和を求める声と、国を守るためには武器による抑止力が必要だとか色々ありますが、世界の会議に行くとその異常さが鮮明になると思いました。

――被団協のこの間の粘り強い取り組みが、核禁条約などにしっかりと反映されていますね。
 日本被団協は、2016年に「ヒバクシャ国際署名」(ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名)を始めました。それからほぼ毎年、その署名をもって国連に行き、核兵器禁止条約締約国会議へとつながってきています。国連事務次長の中満泉軍縮担当上級代表とは毎年お会いしていますし、カナダ在住の被爆者・サーロー節子さんとも国連原爆展などニューヨークで何度もお会いしています。
 核兵器禁止条約第1回締約国会議「ウィーン宣言」などでは、私たちの長年の願いを文章化し、それをきっちりとやり切りましょうとの合意が形成されたと思います。とくに核兵器の被害者救済では、核兵器だけではなく、採掘をはじめすべての被害を含むという点で画期的だと思います。
 禁止条約第6条では、被害者に対する援助および環境の回復に関する締約国の義務を規定しており、方向性が鮮明だと思います。それに則って作業部会が設置されて具体的な議論が進んでおり、条約ができると動きが決定的に変わってくると思いました。もう後戻りはできないでしょう。
 そういう国際会議の場に日本政府、日本の顔がないのは異常です。悲しいというか、情けないと思います。
 多くの国の代表からも、なぜ日本政府はここにいないのかと迫られている感じがしました。

――「核抑止論」を打ち破るためにも被爆者の訴えが求められています。
 国際的な場では、核兵器の「非人道性」と言わなければなりませんが、私は、日本国内では核兵器の「反人間性」と言っています。人間の存在そのものに反するものだからです。人間とは相いれないものだと主張すべきだと思っています。
日本被団協は、被爆者について、〝いのち、からだ、くらし、こころの被害〟と言っています。「いのち」は、〝あの時〟に一瞬にして奪われました。命を奪うのは原爆、核兵器だということです。「からだ」は、けがややけどに加えて放射線の影響も大きく、総合的で単純ではない。「くらし」は、まずあのときに仕事を奪われた。敗戦直後で日本全体がそうだったのかもしれませんが、被爆者は放射線の影響で、大きなけがやはっきりした病名がつかなくても身体の不調があり働けない人がいた。「ぶらぶら病」と言われたり、怠け者と言われ、またそうでない人も就職差別を受け、くらしを奪われました。「こころ」は、〝あの日〟肉親、他人を問わず目の前で苦しむ人を助けることができず自分だけ生き残ってしまったことなどへの「罪意識」や喪失感……死ぬまで被爆者であることから逃れられないのです。
 私は、〝4度、被爆者になった〟という言い方をしています。一つは8月9日、5歳の私が長崎で間違いなく被爆者になった。だけど、何が起こったかわかっていないのです。真っ黒に焼けた長崎の街と、道路には死体がゴロゴロ。水を求めて川に入った人が川に浮かんだ光景は見ているわけですが、なぜそうなったのかはわからないわけです。原爆ということは長いこと隠蔽され、私たちは知らないわけですから。だけど、こういうことは起こってはいけないとは思ったんですよ。だって生きている人は少ないんですから。今日まで、こんなことは絶対に起こってはいけないとの思いは変わっていません。
 2度目の〝被爆者になった〟というのは、占領が終わったときに『朝日グラフ』の被爆写真集が出ました(1952年8月6日号)。中学1年生のときです。そのときすぐには手に取れなかったんですけど、私は被爆者だということが認識できたわけです。それまでは、深く考えていなかったけれど、〝自分は被爆者という人間だ〟ということを自覚しました。そうするといろんな意味で何か気になることがあると、〝あれ、これは被爆したからじゃないか〟と思ったりしました。
 3度目は、1991年に岐阜で被爆者の会をつくって日本被団協運動に参加したことです。岐阜の運動を中心にやっていましたが、次第に日本被団協の仕事をするようになった。どうしてそうなったかというと、田中煕巳(てるみ=現・日本被団協代表委員)さんらが「若いからやれ」と言うだけですよ。大学の後輩らも、「被爆者でない私たちではやれない運動だから、木戸さん、あなたにしかできない運動だよ」と後押ししてくれました。
 そして、今、4度目の被爆者になったと思っています。日本被団協運動をやっているうちに、要するに被爆者であることから逃れられないし、被爆者として人間らしく生きるのは、被爆者としてやるべきことをやることだ。それは核兵器をなくせ、戦争をなくせということになると見極めて、いま世界に対して、核兵器は反人間的な存在で相いれないものだよと訴えているんです。

――政府は原爆被爆への国家賠償にも背を向けています。
 政府は、原爆投下直後の初期放射線の影響による被害にのみ応えているということです。根本的に日本政府には、戦争被害、戦争に対する反省がありません。それから憲法を守るという発想がない。だから政府がギリギリのところで何かせざるをえなくなるのは、一つは日本被団協、被爆者の運動があるということ。もう一つは、やっぱり原爆のもたらした被害というのは無視できないわけです。それだけ深刻で、何にもしないわけにはいかない。だからギリギリの線で、初期放射線による被害を対象として、現行法で1号から4号の被爆者に限定しているわけです。ある一定の地域にいて被爆した人、その地域に入って被爆した人、その地域にはいなくても逃げてきた被爆者を救護した人については放射線の影響があると。そして、そのときそれらの人の体内にいた人と4種類しか「被爆者」としては認めていない。原爆被害者という表現にしないのもそこなんですよ。日本被団協は原爆による被害者と言っているわけで、被害の中身が本当に広いわけです。それをギリギリ狭くしようというのが「被爆者」という表現で、国は言葉遣いを一つ変えるだけで内容を全然違ったものにしているわけです。

――来年は広島・長崎の被爆80年です。木戸さんや日本被団協の思いは。
 日本被団協の今の課題は、〝被爆者〟がいなくなるときが近づいていること。命があっても動けない人が増えています。〝被爆者のいない核兵器禁止運動〟が目前に迫っているというのが一つの課題です。
 そうした状況下で私たちは、今年から来年にかけて、核兵器の危機から人類を救う課題は被爆者だけの課題ではない、すべての日本国民、世界市民の課題だということを強調していきたいと考えています。
 核兵器をなくす、戦争をなくす国民的運動を起こさなければいけない。色々な友好団体、生活協同組合、女性団体、青年団体、原水協、原水禁などに懇談を申し入れることにしています。国民的運動で世界的な運動にしないといけない。被爆者運動に生涯をかけた故・山口仙二さんや故・谷口稜輝さんをはじめ多くの先人たちが国際的な活動と国内での活動をやってきたので、そのことをきちんと受け止めてこれからもやっていかなければなりません。
 日本被団協の運動を伝える『被爆者からあなたに』(岩波ブックレット・日本被団協編・2021年)をみんなで作って、「必読の書」となっています。「良かったよ」との感想が寄せられ、地に着いた運動になっています。ぜひ、手に取って読んでいただきたいと思います。
 今後の被爆者運動、あるいはその継承ということでいうと、やっぱり私は憲法97条だと思っているんです。「憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」のうえに成り立っていると。私はまさにそうだと思います。人類の歴史というのは、命を守り、自由に生きるということは、自分の生き方を自分で決めるということなんだと、それがまさに重要だということです。だから、いろんな弾圧があったり、いろんなことを経験しながら、実は自由を尊んで生きてきたから命はこの日まで続いているんだと思っています。そういう人類の歴史から見ると、やっぱり命を奪う、自由を奪う負の事例を受け継いではいけない。多年にわたって積み重ねられてきた自由を求める行為を受け継いでいかなければならない。私は今、80歳を過ぎて、今まさに、それがどこまでできているかは別として、それを実現しようと生きているのだと思っています。