原爆は未来奪う悪魔の兵器
命ある限り核廃絶を訴えていく 2025.8.13
濱住治郎さん(日本原水爆被害者団体協議会事務局長)に聞く
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞して迎えた被爆80年。日本被団協は、被爆の実相を国内外で証言して核兵器の非人道性を訴え、核兵器禁止条約誕生と核兵器使用を許さない世論形成に大きな役割を発揮してきました。今年6月の総会で事務局長に就任した濱住治郎さんに8月13日、いまの核兵器使用を許さない国内外の動きと日本被団協の今後の運動への思いなどを聞きました。
核兵器の非人道性の証言が責務
――被爆80年の8月6日、広島の記念式典に参加されましたね。
妻と一緒に行ったのですが、ものすごい人で座る場所がなく、結局国際会議場のホールで映像を見ながら参加しました。
松井一實市長は、平和宣言で核兵器禁止条約について、「機能不全に陥りかねないNPT(核兵器不拡散条約)が国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として有効に機能するための後ろ盾になるはず」「来年開催される第1回再検討会議にオブザーバー参加していただきたい」と述べました。湯崎英彦県知事は、「抑止力から核という要素を取り除かなければいけない」と、はっきりと「核抑止論」を批判しました。
石破茂首相のあいさつからは、そういう危機感がまったく感じられませんでした。安全保障環境がいっそうきびしさを増しているからNPT体制のもとで、「核戦争のない世界」、「核兵器のない世界」に向けて全力で取り組んでいくと言いましたが、核兵器禁止条約への言及はまったくありませんでした。松井市長が述べたNPT体制が機能不全陥りかねない状況の中で、私たち被爆者も危機感を持って見ていますが、今のNPT体制だけでそれがやり切れることはないのではと強く思ったところです。
――日本被団協と日本原水協、原水禁が共同アピールを発表しました。
私もこの時の記者会見に参加して、アピール文を読み上げました。記者からアピールをどう受け止めましたかと聞かれ、感極まって涙が出そうになりました。自分たちがこの間、先輩たちも含めてやってきた中で、原水協と原水禁とまた一緒にやれると思ったときに、被爆者だけでなく多くの団体や市民のみなさんが共同で支援してくれているとぱっと頭に浮かんできて、うれしさでものすごく熱くなってしまいました。
私は2015年から日本被団協の事務局次長としてかかわってきてちょうど10年ぐらいですが、その間でも原水協と原水禁が何か一緒にできないかと各地から声があがっていました。「ヒバクシャ国際署名」を2016年から取り組みましたが、中央の連絡会には両方が名を連ねてくれましたし、各地でも一緒に連絡会を結成するところがありました。
私はまだ経験が浅いのですが、一緒に被爆の実相を伝えていくことを柱に、共同していこうという方向が出てきたことは、ノーベル平和賞受賞と被爆80年で繋がってきているということで私自身も大変うれしく思っています。
――事務局長になっての抱負を聞かせてください。
ノーベル平和賞の受賞で考えされられたのは、いまの世界の情勢を見ると、被爆の実相普及を含めて被爆者がいままで取り組んできたことをあらためてとらえ直す必要があるということでした。やはり核兵器が人間と共存できないこと、核兵器の非人道性を証言として訴えることが私たちの責務だと思います。いま被爆者手帳所持者は10万人を切ってきたのですが、まだ10万人もいるととらえて、いままで証言ができなかった人、中にはつらくて話せない方もたくさんいます。そういう方の証言を掘り起こし、若い人たちと一緒に語り継いでいく、それを大運動にできないかというのが1つの課題です。
日本被団協は来年結成70年を迎えます。1956年の「結成宣言」の中で「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」との決意を表明し、「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」と世界に呼びかけています。この宣言は原爆を直接知らない私にとっても、とても励みになる言葉です。日本被団協は、ふたたび被爆者をつくらないために核兵器の廃絶と原爆被害者への償い=国家補償をずっと要求してきました。すべての戦争被害にがまんを強いる「受忍論」をのりこえるため、41年前の1984年に「原爆被害者の基本要求」をまとめ、この二大要求を国の内外で訴えてきました。これをもう1回勉強し直して、どうとりくんでいくかが2つめの課題です。
核兵器禁止条約が2017年に採択されて、21年に発効しました。私たちは、1975年ぐらいから国連に要請して、核兵器を禁止する条約をつくること、被爆の実態を議論するようにと要請してきたなかでやっとできた条約です。これにまったく参加しない日本政府にどのようにして署名・批准させるのかが3つめの課題です。
ノーベル平和賞をいただいて、世界的に認められてきた日本被団協ですが、事務局の体制やこれからの運動や組織についても検討していかなければいけません。先輩のみなさんが積み重ねてきたものをどう繋げ、また世界にどう発信していけるか、そういう課題に一歩でも近づけたらと思っています。
――ロシアのウクライナ侵略やイスラエルによるガザでのジェノサイドが続き、核兵器使用の危険も高まっています。
私たち被爆者は核兵器と人間は共存できない、核兵器の非人道性というものを一貫して内外に訴えてきました。ウクライナやガザで女性や子どもたちが傷つく状況を見ますと、被爆者はやはり80年前を思い出し、一日でも早く戦争を停止してほしいと願っています。核による威嚇については絶対に許せない。だからこそ、「戦争反対」「核兵器使用は許さない」との声と運動を広げる市民社会の役割が重要になっていると思います。
日本被団協がノーベル平和賞をいただいたこともあり、各国から証言の要請があり、スペイン、フランスには今年初めに田中重光代表委員が行ったのですが、大きな反響がありました。オスロには8月に和田征子事務局次長が行って訴えてきました。あとイタリアや韓国、ドイツなどから証言の要請が来ていますが、核保有国にできるだけ出かけていって私たちの気持ちを伝えていくことができればと考えてます。
――TPNW第3回締約国会議で発言されましたね。
3月3日から7日まで開かれた核兵器禁止条約第3回締約国会議のハイレベルセッションで「原爆は本人の未来を奪い、その家族を苦しめる悪魔の兵器」だと発言しました。大きな反響があって日本でも大きく取り上げられました。私の父親は、私が3ヶ月の胎児のときに爆心地から500㍍の仕事場に出かけて亡くなり、まったく父親を知らないで育ちました。そういう意味で、原爆は一発たりともあってはならない、ゼロにならなければならない、まだ戦争は終わっていないと発言しました。一発で親を亡くしている私たち被爆者にとって、世界に1万2120発もの核兵器があり、4000発の核弾頭がすぐに発射できる状況にあるというのは異常な世界です。
胎内被爆というのは母親のなかで守られると思われるかもしれませんが、1.5キロぐらいの近距離で3~4ヶ月の胎児のときに被爆した人は、障害を持って生まれています。それが原爆小頭症の人たちで、昨年度末(今年3月末)で11人ですが、これまでに80人近い人が亡くなっています。
胎内被爆者で2人のお子さんを残して40歳ぐらいで亡くなった学校の先生が言った「胎内被爆者というのは、生まれる前から被爆者なんだ。お腹に宿って被爆しているということで、その時点から被爆者として烙印を押されている」との言葉が私の頭の中にすごく残っています。私は自分の体験を通じて核兵器の怖さ、人間として生きることを認めない核兵器の姿を訴えていきたいと思っていて、その話がハイレベルセッションの機会にできてとても嬉しく思います。
――2026年NPT再検討会議第3回準備委員会にも参加されましたね。
4月28日から開かれた核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議第3回準備委員会では、ロシアや中国、それに対するアメリカやイギリス、フランスなど西側との激しい応酬というか、核兵器国間での対立がありました。一方で、6条の核軍備の撤廃の義務を履行せよと多くの国が迫っていたことがやはり大事だと思いました。
私は、イギリスの大使と会って話しましたが、大使は「核のない世界」というのは共有できるが、ロシアのような動きがあるなかで「核抑止」は必要だと最後に言いました。「核抑止」論を克服するためにどう進めていくか、これはいろいろ課題かなと思っています。
日本被団協はNPT再検討会議開催時には2005年から国連総会議場ロビーで原爆展を開いてきました。2005年、10年、15年、22年です。国連の場で原爆が人間になにをもたらしたか、被爆者が原爆にどう向き合ってきたかを知らせてきました。来年もぜひやりたいと、軍縮局とも話をして準備を進めています。展示とともに各国大使への要請や、証言の機会を持ちたいと考えています。
命を大事にし、核兵器のない世界を求め続ける
――これからの被爆者運動について聞かせてください。
日本被団協は8月5日に「被爆80年声明」を出しました。そこでは、いまの私たちの「最優先の課題は、私たちにそっぽを向いている核保有国を、そのリーダーたちを1ミリでも動かす」こと、「『核軍縮から廃絶』と『核被害者援助』を進める唯一の実効力ある核兵器禁止条約に早く近づける」ことと指摘しています。「それには、『唯一の戦争被爆国』を自称する日本政府の役割が不可欠」ですが、これまで会議へのオブザーバー参加も拒否しています。防衛費が非常に増大し、有事を想定した日米演習に核使用を求めるということが報道されました。「核共有」へ進む危うさがぬぐえないという意味で、「国是の非核3原則の破壊、『核なき世界』への逆行」ではないか。とても「許すことは出来ません」と声明で強調しています。
国家補償についても、1945年だけでも原爆で亡くなった人たちが約21万人いるわけですが、戦争被害受忍論を盾に原爆被害者、空襲被害者など、軍人・軍属以外の民間人被害者は何ら補償されていないのは憲法違反、不条理・不公正を是正せずして戦後は終わらない、と言っています。
そして、「私たちは、核兵器が人間とは共存できないことを、命ある限り訴えてまいります」「国民と世界の皆さん、人類の危機を救うため、ともに核兵器と戦争のない人間社会を求めてまいりましょう」と結んでいます。
今の世界の情勢を見るなかで、これまで培ってきた日本被団協の運動とこれから取り組んでいかなければいけない課題に向けて、二大要求実現に一歩でも近づけるようにとの思いでこの声明を出しました。
個人的なことですが、父親が原爆で49歳の時に亡くなっています。私の息子が今その年なっていますが、まだ若い。私は父の倍生きたい、生きなければならないと思っています。そして、この命ある限り核兵器のない世界を求め続けなければと思うようになりました。命を大事にして、みなさんもぜひ長く生きてください。そして、核兵器のない世界をもとめて頑張ってまいりましょう。
