オーストリア政府のアレクサンダー・クメント軍縮局長が、原水爆禁止2023年世界大会—長崎の開会総会にビデオメッセージを寄せました。メッセージから「核抑止力」を批判した部分を紹介します。


オーストリア政府 クメント軍縮局長からのメッセージ

 私たちは今、核兵器の問題で岐路に立っています。この危機から国家が引き出す結論が、核兵器と抑止力のさらなる強調となるかもしれません。そうなれば、私たちはより激しい競争と緊張、新たな核軍拡競争、拡散圧力、核リスクの増大の道を進む可能性が高くなります。
 しかし、現在のように核の危険が高まっている瞬間でも、別の結論に進むこともあります。それは現在の危機と核兵器使用のリスクが、核抑止力の脆弱さを鮮明にするからです。それゆえ、核軍拡競争は回避すべきであり、核兵器のせいでウクライナ情勢がより危険になっていることが明らかになり、核兵器の現在の状況が今後も続くことに懸念が高まり、核兵器のパラダイムシフトが必要だと考えるようになるのです。
 核抑止力が必要との主張が正しいかどうかを批判的に評価するとともに、これらの主張を人道的結末や核兵器のリスクに関する経験的証拠に照らして検討しなければなりません。
 核抑止力が究極的な安全保障を保証するという考え方は、非常に深く浸透しています。そこでの問題点は、私たちに経験的証拠が不足していることです。核抑止とは理論です。それにもとづき、行動、意図、結末、予測される結果などを想定しています。
 私たちは核抑止力が過去には機能した、あるいは将来機能するということを証明することができません。同じように、核抑止力は過去にも将来にも機能しないと証明することもできません。人間の思考システムと同じように、核抑止力は、仮定に依存し、過信や都合のいい証拠だけを集めようとする〈確証バイアス〉傾向があります。
 核抑止力の有効性は不確かですが、核抑止力が機能しない場合があることは確実です。そして、そうなればその結果は壊滅的で、世界中に影響を及ぼすことを証明する証拠があります。
世界全体が、核抑止力が機能しないリスクを抱えているのです。
 それによってすべての国の安全保障に対するリスクが高まり、各国の国民は、以前に認識していたよりはるかに悲惨な被害を受けるのです。
 このことは法的、倫理的、正当性の問題、国際的および世代間の公正さの問題を提起しています。
 ロシアや北朝鮮のように、無責任で攻撃的な言動を目の前にすると、国家が不安を感じるのは確かに理解できます。しかし、そのような言動に対して、核抑止力で対応することは、核リスクを複雑化し、永続化することになり、ひいては受け入れがたい高いリスクを続けることになります。
核抑止力の信仰は、核兵器を実際に使用するという脅しが信用できるものかどうかにかかっています。各国が核抑止力に依存し続ける限り、核兵器使用を思い止まらせる確実なタブーはありません。なぜなら核抑止力の理論は、これらの大量破壊兵器を使用し、世界規模の壊滅的結末を伴う想像を絶する被害を与えようという具体的な計画と意思にもとづいているからです。
この計画が実践されれば、人類の生存そのものを危うくします。大多数の国家はこのリスクを受け入れようとしないでしょう。核抑止力への依存は、核兵器は最終的には使用されないという仮定にもとづいているかもしれません。しかし、そのことで抑止力が受け入れられなくなっている事実は変わりません。
 核兵器の人道的結末やリスクについての私たちの現在の認識に照らして、責任ある核の威嚇などあるのでしょうか。人道的結末から考えて、受け入れられると見なせる核の脅威とは何か。特に、誰のため、どんな正当化にもとづいているのか。そして、私たちはどんな安全保障、誰のための安全保障について議論しているのでしょうか。
 この点から見て、「私の核威嚇は責任あるものだが、あなたの核威嚇は無責任だ」というアプローチは説得力に欠けます。
 核兵器禁止条約締約国は、核のタブーを強化し、いかなる核兵器の使用も威嚇も明確に非難しました。2022年6月、ウィーンでの第1回締約国会議での宣言は以下のように述べています。「われわれは、核兵器使用の威嚇と、ますます激しくなる核のレトリックに不安を感じ、驚いている。われわれは、核兵器のいかなる使用または使用の威嚇も、国際連合憲章を含む国際法の違反であることを強調する。われわれは、核兵器によるいかなる脅威も、それが明示的であるか暗黙的であるかにかかわらず、また、いかなる状況であるかにかかわらず、明確に非難する」。
 これこそ、この問題で国際的に合意した声明のなかで最も明確に核のタブーを強化した声明です。私たちの置かれた不安定な状況に照らして、この声明こそ国際社会が核兵器問題で依拠すべきものです。
 一つ質問させてください。いったい私たちはいつまで核抑止力が機能し、核兵器が使用されないと仮定し続けることができるのでしょうか。いまはロシアン・ルーレットの結果を見守っているだけです。中国や北朝鮮との緊張、インド・パキスタン間の緊張、あるいは中東の核拡散の可能性の状況のなかで、将来も抑止が機能するとどうして確信できるでしょう。
 抑止力の安定性に賭けるのが現実的アプローチでしょうか。それとも、それは現実には、多くの仮定や不確実性、確証バイアスにもとづいた希望的観測ではないのでしょうか。
 核抑止力のパラダイムから規範的に、政治的に脱出する道を探すことこそ、リスクの大きい核抑止力の賭けに敗れた場合にその結末がどうなるかを示す経験的証拠を前にした、現実的で慎重な対応だと私には思えます。
 核兵器禁止条約は、核兵器の人道的影響とリスクを理由に、核兵器を非合法化したものです。この条約は重大な証拠にもとづき、国際社会が核兵器の見方を変える概念を提供しています。究極的には、責任ある国はどの国も、この最も無差別的で破壊的な兵器の使用を容認しないでしょう。
 核兵器禁止条約は、将来の安全保障に対する銀の銃弾(怪物を倒すための銃弾)ではありません。しかし、核抑止力も「銀の銃弾」には程遠く、おそらく持続可能でもないでしょう。この極めて危険な時代には、私たちには指導力と協力が必要です。禁止条約は建設的かつ重要な国際法と万人の共通の安全保障への投資です。核兵器についての法的な意見の違いに関係なく、すべての責任ある国家は、いま禁止条約が提起している議論と世界の正当な懸念に、建設的にとりくむべきです。
 核保有国のこの問題についてのリーダーシップはほぼない状態ですが、そんななかでも核兵器禁止条約は核軍縮のリーダーシップがない非常に暗い状況を照らす、欠くことのできない希望の光です。


(提供=世界大会実行委員会)