「『ガザ戦争』とイスラエルの核
奈良本英佑法政大学名誉教授
三度約束された土地
イギリスは、1915年の「フサイン=マクマホン書簡」で中東広域にアラブ王国建設支援を、1916年の「サイクス・ピコ協定」で中東の広域を英・仏勢力圏に分割(パレスチナは「国際管理」)を、そして1917年の「バルフォア宣言」でパレスチナに「ユダヤ人の郷土」建設支援を、と調子のいいことを言って第一次世界大戦が終わりました。これ三つとも矛盾するのでどうすればいいかということで、戦勝国の戦後処理会議の一つでサン・レモ会議が開かれ、いろいろ約束したけれども英仏の勢力圏に分けてこの地域を分割統治しようということになりました。
国際連盟は1922年、イギリスによるパレスチナの委任統治支配を正式決定しました。それによってユダヤ民族主義者=シオニストのパレスチナへの移民がイギリスの支援によって本格化しました。当時はユダヤ人の間でシオニストは少数派でしたが、多数派になっていったのは、第二次大戦中にナチスの迫害と大虐殺が行われ、連合国がこれを救出しなかったことが一つです。
もう一つは、戦争が終わった後、ヨーロッパのユダヤ戦災難民を受け入れることを、ヨーロッパ諸国もアメリカも嫌いました。それで彼らがパレスチナに集団で移民しましたが、終戦の翌年1946年に保有していた土地は6%程度でした。ところが、47年の国連の181号決議は、もとから住んでいるパレスチナのアラブ人が人口の3分の2を占めていたにもかかわらず、3分の1のユダヤ移民たちに56%の広大な土地を与えてしまいました。
これを不満とするパレスチナ・アラブとアラブ諸国がイスラエルと戦争をして負けた結果、48年にイスラエルが独立宣言を行い、イスラエルが支配する土地は75%以上になりました。そして残りの西岸地区はヨルダン王国が、ガザ地区はエジプトが支配するという形ができました。
パレスチナの現代史
67年に第3次中東戦争が起こり、イスラエルがパレスチナの全土を占領しました。パレスチナ人(PLO)がこれに対する武装闘争を始めるのですが、1993年のオスロ合意でPLOとイスラエルは政治交渉での紛争解決を約束し、PLOは武装闘争を放棄しました。
95年の協定「オスロⅡ」によって、パレスチナ自治政府(PA)が西岸・ガザ地区で暫定的な自治を始めました。しかし、自治政府の行政権も及ばないイスラエルの完全な占領地域(C地区)があり、ここがイスラエル人の入植地をつくる恰好の土地として利用されるようになりました。これは占領地ですから、入植地の建設は、ジュネーブ第4議定書に違反する行為ですが、イスラエルはあえてそれを着々と進めていきました。これによってパレスチナ人の間にオスロ合意に対する失望が広がっていき、それがハマース支持に繋がっています。
ガザ地区は、大体10キロ×40キロで東京23区よりも小さく、農地も小さく、漁業も地中海の沿岸漁業で、産業としては大したものがなく、主として日雇い労働者を供給するという役割を果たしていました。イスラエルへ日雇い労働に働きに出かけるということで極めて貧しい、しかし人口密度の高い地域なので、非常に不満が高まって、1987年の第1次インティファーダが発生したのはガザ地区です。そして西岸地区にも飛び火をしましたが、この時期にハマースが誕生しています。
ハマースはオスロ合意に反対していたんですが、2006年1月の自治政府の立法評議会選挙に参加します。ファタハを中心とした自治政府の腐敗がひどいこともあって、ハマースが過半数の議席を獲得しました。
2007年3月にハマースとファタハによる挙国一致内閣ができたのですが、欧米の圧力で瓦解します。そしてガザ地区の内戦でハマースを主体とする政権ができ、封鎖されるということになりました。水も食料も燃料、電力、医薬品も、あらゆるものがイスラエル当局の許可なしに搬入できません。「人々を生かさぬよう、殺さぬよう」管理するこの非人間的な政策のため、ガザ地区では生活必需品の慢性的な欠乏、異常に高い失業率が日常となりました。
封鎖下のガザ地区
ガザ封鎖が2007年に開始されてこの間、イスラエル軍は数度にわたり、ガザ地区に侵攻、あるいは空爆を繰り返してきました。
2007年から08年にかけて、非常に大規模な空襲によって1500人以上を殺し、5000人以上を負傷させました。2014年の夏にはイスラエル国防軍による攻撃でパレスチナ人が2200人以上死亡し、1万人以上が負傷。そして、建物は大体3万から5万ぐらいが倒壊し、これはまだ壊れたままの状態というのがたくさんあります。
18年から19年にガザ地区で帰還の大行進が行われています。我々は帰還の権利があるので、これをイスラエルに認めさせたいと、イスラエルとのフェンス沿いに大行進をやりましたが、イスラエルはこの非武装のデモ隊に銃弾を浴びせて250人以上殺して1万人以上にケガをさせました。その後、21年にも大規模な空爆が行われています。
ガザ危機/戦争
今年10月7日のハマースによる奇襲によって始まったのが、ガザ戦争、ジェノサイド戦争です。イスラエルは、最初1200人殺されたと言って、その後1400人、そして1200人に戻しました。兵士と市民の区別も発表していないので、この数字は疑ってかかる必要があると私は思っています。
特に注目するのは、病院や救急車を意図的に攻撃したことです。11月に占領したシファー病院はガザ地区最大の公立病院です。イスラエルは、盛んにハマースの司令部があると言って写真を公表していますが、これを裏付ける証拠はまだ明らかになっていません。院長や医師を逮捕し、患者や医師を病院から強制的に退去させることもやっています。
国連安全保障理事会による一時停戦の決議が11月に成立しましたが、イスラエルはそれを無視し続け、結果的にはカタールが仲介してようやく4日間の戦闘中断が実現して今日に至っています(12月1日から攻撃再開)。
イスラエルの核武装
イスラエルの閣僚がラジオインタビューで、ガザに核兵器を使うのも「一つの選択」だと言い、世界に広くイスラエルが核武装していることがわかりました。
イスラエルの核開発には、最初はフランスが協力しています。ディモナという砂漠の中にある核施設でプルトニウムの生産を1957年に開始しています。
実戦配備は、1967年の第3次中東戦争のときに核兵器を組み立てたという情報があります。1973年の第4次中東戦争では、アメリカに対し「大量の武器援助をしなければ、我々は核兵器を使わざるを得なくなる」と言って脅しました。アメリカが急いで優秀な兵器を大量に提供したことで、イスラエルがエジプト軍とシリア軍を撃退したことは、よく知られています。
アメリカの科学者連合の推定数字では、イスラエルは大体90発の核弾頭を持っていて、イギリスやパキスタン、インドとほぼ同等であることが推定されています。イスラエルは、1000万人に満たない人口で、面積は九州よりも小さい国ですが、非常に大きな核能力を持った国が、ガザ地区でとんでもない虐殺戦争をやっているのが現状です。
