ウクライナ戦争と欧州安全保障体制の行方
森原 公敏 国際問題研究者・元「しんぶん赤旗」ワシントン、ロンドン特派員
はじめに
ロシアによるウクライナ侵略戦争は、和平への道が見出せないまま続き、8月にはウクライナがロシア側の軍事攻勢に対抗してロシア領に軍事侵攻するなど、むしろ拡大・激化に向かっています。他方、NATO(北大西洋協約機構)加盟国の側では、ロシアに対処するには軍事力による抑止が唯一の保証だとして、NATO軍事同盟の拡大強化、さらには米国の核兵器による拡大抑止とそのための「核共有」への傾斜を強めています。
ソ連崩壊の後、全欧州と米国とカナダで構成する欧州安全保障協力機構(OSCE)首脳会議は繰り返し、「紛争の予防及び解決の機構」の発展を誓約しています。しかし、結局のところ、ロシアもNATOの側も、軍事力による抑止こそが最優先と位置づけていた。軍事的抑止信奉を克服しなければ戦争の防止はできないし、戦争の行方のコントロールも不可能です。それが、今回のウクライナ戦争に至った「安全保障のジレンマ」であり、「冷戦」後の欧州安全保障をめぐる経過から引き出すべき教訓です。
戦争の現状と議論
ウクライナ戦争が2年半続いています。ロシアは今年初めから大軍事攻勢を続け、併合を宣言した4州のうちの東部ルハーンシクとドネツク両州の完全占領に向かっています。残る2州、南部のザポリージャとヘルソンにはロシアの占領が及ばない部分がかなり残っています。
そうした中、ウクライナは8月に国境を越えてロシアのクルスク州に侵攻しました。ウクライナは侵略している国に反撃・侵攻するのは当然という主張ですが、ロシア領内侵攻の兵力を維持しつつ、ウクライナ東部のロシアによる攻撃に対処できるのか。それが今の戦場の状況です。
ゼレンスキー大統領は、ロシアへの反撃を有効にするために、米国、西欧からの軍事支援と、支援を受けた兵器によるロシア領内攻撃を認めるよう繰り返し要求しています。
これに対して、当初から核使用の威嚇を繰り返してきたロシアのプーチン大統領は、戦争の性格が変わったと主張しています。なぜなら、NATO軍と米軍の支援がなければウクライナ軍にはロシアへの攻撃目標を決めることも、与えられた兵器を使用することもできない。これはNATOとロシアの戦争になる、という警告です。
フィンランドの国際問題研究所の研究員が、ウクライナによるロシア領攻撃を認めろという主張は以前から西欧の意見だと、アメリカの外交誌に書いています。ウクライナはすでに、イギリスの供与した「ストーム・シャドウ」ミサイルでロシアを攻撃しており、英仏供与の巡航ミサイルをロシアの領内で使えるように、というのはフィンランドをはじめ、ポーランド、チェコ、デンマーク、スウェーデンの共通した意思だと主張しています。そうしなければ、ウクライナの社会インフラを破壊してギブアップとさせようというロシアの戦略に太刀打ちできない、と。
バイデン米大統領は、当初からNATOとロシアの戦争、米国との戦争にならないよう繰り返してきましたが、そのような制御・制限が難しい危険な状況が生まれつつあります。
ウクライナ後の欧州の安全保障
「冷戦」後の欧州の新しい安全保障の仕組みをどうするかという点で、欧州安全保障協力会議(CSCE、後に協力機構=OSCEに発展)の1990年首脳会議で全欧州と米国とカナダの首脳が発表した「パリ憲章」は、「欧州の対立と分断の時代は終わった」「紛争の予防及び解決のためのメカニズムを発展させることを決定する」と宣言しました。
しかし、ロシアは2014年にはクリミアを併合し、2022年にはウクライナ侵略を始めました。お互いに問題を平和的に外交的に解決するのがこれからの道だと首脳が宣言しながら、なぜそうならなったのかということですが、結局のところ、ロシアもNATOの側も軍事力によって相手を抑止する仕組みこそが平和を維持するものとして最優先に位置づけていた。
OSCEは、お互いの疑念を取り除いて、信頼を醸成するための具体的な成果も上げたのですが、それは軍事力の次、副次的な位置づけだった。まず、軍事力によって相手が戦争に訴えないようにする、を最優先にしたところに、OSCE に与えた平和的な手段での戦争回避、平和の維持という機能を発揮させることができなかった。それが、つぶさに観察した新たな欧州安全保障をめぐる経過であり、軍事的抑止信奉を克服しない限り、今回のような侵略戦争を防止することはできないというのが結論です。
軍事専門家は一様に、米国とNATOがどれほどウクライナを軍事支援しようと、ロシアを戦場で敗北させて戦争が終わることは考えられない、と戦場の現実を指摘しています。では、ロシアがこの先もヨーロッパに存在し続けるというときに、どんなヨーロッパの安全保障の仕組みをつくることができるのか、が問われているわけです。ヨーロッパの左翼勢力の中にはOSCEの再度の機能強化と復権という主張もあります。しかし、今のヨーロッパの状況を一言で言えば、実際に侵略を行った強大な軍事力を持つロシアを前にして、圧倒的にNATO強化の方向への傾斜が強まっているのが現状だと思います。
欧州の核軍拡状況
こうした中で、欧州の核兵器と軍拡の状況は、様々な軍備管理条約が次々に破綻していったこともあり、新型長射程ミサイルの投入など、深刻化が顕著です。
今年7月のNATO首脳会議の際、米国とドイツは米国の3種類の長射程ミサイル(通常弾頭)のドイツ配備を決めました。当然ながらロシアはそれに対応して、極超音速ミサイル「キンジャール」やその他のミサイルを配備、近代化をさらに進めている状況です。
二つ目は、様変わりした拡大抑止と「核共有」の議論です。米国の核による抑止を現実のものにする、保証をより確実なものにする、という理屈で様々な動きがあります。その象徴的な動きとして、NATOが今年10月にイギリス、デンマーク、オランダの空域で実施する大規模な核攻撃演習「ステッドファスト・ヌーン」があります。米国の核爆弾を搭載して核攻撃任務に就く欧州4ヵ国(ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリア)の戦闘機だけでなく、チェコスロバキア、フィンランド、ギリシャ、ポーランド、ルーマニア、トルコ各国の通常(非核)任務の空軍機がそれを支援するという核演習です。
さらに、フランスの「核の傘」提案です。トランプ政権が、自己負担の不十分な同盟国は防衛しないと公言し、欧州への関与をなくす可能性が議論された後に、フランスのマクロン大統領は、フランスの核による拡大抑止を提案しましたが、今年も米大統領選挙の行く末を横目に、その提案を繰り返しています。
他方、ロシアのプーチン大統領は23年3月、ベラルーシに戦術核兵器を配備すると正式発表しました。6月には「最初の核弾頭がベラルーシに届けられたが、最初の部分に過ぎない。もっと増えるだろう。今年の終わりまでにこの作業を完了する」と発言しましたが、アメリカの核専門家のハンス・クリステンセン氏は、ロシアから核関連のコンポーネントがベラルーシに送られたことは明らかになっているが、核弾頭そのものがベラルーシに配備されたかどうかは明確に確認できない、と分析しています。
ロシアもベラルーシも核不拡散(NPT)条約に署名していますが、米国の欧州核配備の現実をあげて、〝同じように、我々の判断をした〟というのがプーチンの主張です。米国はNPT条約ができる前にはNATOの西欧加盟国に核兵器を配備しており、その現実を認めることは同条約をまとめる際の米ソの合意事項でした。一切の核弾頭は米国の厳格な管理下にあり、他国には渡されていないと主張し、万一戦争になった場合に核不拡散条約は戦時に適用されないからNPT条約(1、2条)違反には当たらないというのが米国の理屈です。
核抑止の信ぴょう性
NATO本部のホームページに「核兵器は、通常戦力およびミサイル防衛戦力と並んで、NATOの抑止力の防衛力全体の中核をなす。NATOは軍備管理、軍縮、不拡散に取り組んでいるが、核兵器が存在する限り核同盟であり続ける」と明記されています。
今年の6月、SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)が2024年1月現在の各国の核戦力を明らかにしています(表参照)。
この2024年SIPRI年鑑は、米、ロ、中国の核政策について以下のように引用、分析しています。
・ バイデン米政権が発表した2022年核態勢見直し(NPR)は、米国の核兵器の全体的な役割として、「戦略的攻撃の抑止、同盟国とパートナーの安全保障、抑止が失敗した場合の米国の目的達成」の三つを挙げている。「米国は、米国またはその同盟国とパートナーの重要な利益を守るための極端な状況においてのみ、核兵器の使用を検討する」と述べているが、いずれも厳格な規制はない。
・ ロシアの宣言する核兵器使用条件については、①ロシアまたは同盟国の領土を攻撃する弾頭ミサイルの発射に関する信頼できるデータがえられた場合、②ロシアまたはその同盟国に対する核兵器またはその他の種類の大量破壊兵器が使用された場合、③ロシアの重要な政府または軍事拠点に対する攻撃で、その混乱が核戦力を弱体化させる場合、④国家の存立が危機に瀕している場合に通常兵器を使用してロシアを侵略する場合、とする2020年政令の規定に言及。ウクライナ戦争でのプーチン大統領やロシア政府高官の発言は、その不確実性に拍車をかけている。
・ 中国については、国家の安全を守るために必要な最小限のレベルに核戦力を維持すると宣言している。非核保有国や非核兵器地帯に対する核兵器不使用の方針を維持してきたが、最近のLOW(警告即発射)能力の開発の可能性は、核「先制不使用」政策を含む、中国の核政策について疑念を引き起こしている。
軍事力による抑止の究極は核兵器による抑止ですが、抑止力という形での現状の維持、平和の維持ということが証明の必要すらない心理だというような主張が広がっています。しかし、あらためて、それが本当に現実性のあるものなのかということを問わなければなりません。
例えば中国への対処です。日米の軍事融合、長射程ミサイル配備、インド太平洋での米軍増強、さらには米国核戦力の近代化を進めれば、中国が恐れいりましたとなるのか。誰が考えてもそうはなりません。中国の想定される行動は、軍事力の増強での対抗、この方が圧倒的にリアルだと思います。日米が軍事融合すれば中国を抑止することができるという根拠のない言説が大手を振って通っていることは、非常に懸念すべき状況です。
軍事同盟の変容という欺瞞
中立政策の数ヵ国以外、ヨーロッパのほとんどの国がNATOメンバーとなる(長らく中立政策をとっていたフィンランドとスウェーデンを含め)という現実から、NATOは単なる軍事同盟を超えて、OSCEが担っていた「協調的安全保障」を提供できるようになった、との議論が広がっています。
NATO自身、「抑止と防衛、危機の予防と管理、協調的安全保障」をその中核的任務と規定していますが、軍事同盟ですから中核的任務の第一は「抑止と防衛」、つまり集団的自衛権の発動、軍事力の行使です。そうであれば、欧州地域全体に協調的安全保障、包摂的な安全保障を提供することはできない。加盟国間の平和の維持は可能でしょうが、NATOという排他的軍事組織がロシアなど非加盟国を含む欧州の平和を維持する体制とはなりえないのは誰が考えてもわかることです。
問題なのは、この言説を日米安保条約に引き寄せて、日米安保条約は今や、インド太平洋地域全体に安全保障を提供する基盤で、単なる軍事同盟ではない結びつきなのだという言い方が、テレビや、軍事・防衛関連の論文などでまことしやかに流されています。それは米国を中心とする様々な排他的ブロックの拡大にもつながっています。軍事同盟によって抑止力を強化しても、それは「安全保障のジレンマ」に行き着く他ありません。
NATOのような地域規模の多国間軍事同盟が存在しない東アジアには、欧州の失敗した道を回避できる可能性が十分にあります。包摂的な協調的安全保障の仕組みを作り上げ、軍事ブロックに優先する位置を確立して機能を十分に発揮させ、紛争を武力紛争にしない可能性の追求が緊急の課題となっています。
