「原爆裁判」その歴史的意義と今後の課題
大久保 賢一 日本反核法律家協会会長・会常任世話人
原爆裁判とは
「原爆裁判」は、1955年に下田隆一さんをはじめ被爆者5人が、アメリカの原爆投下は国際法に違反するから自分たちには損害賠償請求権がある。にもかかわらず日本政府はサンフランシスコ条約でその請求権を放棄したのだから、日本政府は被爆者に対して賠償しろと東京地裁に提起した裁判です。
裁判の論点は、アメリカの原爆投下は国際法に違反するかどうか。違法とした場合に、被害者個人がアメリカに対して損害賠償請求ができるのかどうか。請求権があるとしても、サンフランシスコ講和条約によって放棄されているのはないか。日本政府の賠償請求権の放棄が違法であれば、国家賠償が必要ではないか、などです。
被告の国は、1945年8月10日には「原爆投下は国際法に違反している。即時にこのような非人道的兵器を放棄することを厳重に要求する」とアメリカに抗議しました。しかし裁判では、「その抗議は事実であるが、原爆使用問題を交戦国として抗議するという立場を離れて客観的に眺めると、原爆の使用が国際法上違法であると断定されていない」と手のひらを返し、「原爆投下は戦争終結を早め、多くの人命が失われるのを防いだ」というアメリカの「原爆投下正当化論」と同じ主張をして、原爆投下を免罪しています。
裁判所は、原爆投下の違法性は認めましたが、原告の請求は棄却しました。判決は、「原子爆弾の投下とその効果」について、「原爆はその破壊力、殺傷力において従来のあらゆる兵器と異なる特質を有するものであり、まさに残虐な兵器である」と言っています。
「国際法による評価」では、「広島市と長崎市には一般市民がその居を構えていた。仮に、原爆投下が軍事目標を目的としたものであったとしても、原爆の巨大な破壊力からするならば、盲目爆撃であり、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」と。それだけではなくて、「原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものと言って過言ではなく、広島と長崎に対する原爆投下は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の根本原理に反している」と言っています。
被害者の損害賠償請求権については、結論的には否定しています。対日平和条約についての請求権の放棄についても、国民には国際法上も国内法上も請求権はないと言っているのですが、裁判所は政治の貧困を嘆くのです。
時代に挑戦する勇気ある判決
裁判所は、「人類の歴史始まって以来の大規模、かつ破壊力を持つ原爆の投下によって損害を被った国民に対して、心からの同情の念を抱かない者はいないであろう。…戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずる。『原子爆弾被害者の医療等に関する法律』があるが、この程度のものでは、原爆による被害者に対する救済、救援にならないことは明らかである。…被告が十分な救済策をとるべきことは多言を要しない。…われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」と言っています。
私は、この裁判官たちは「時代に挑戦する勇気ある人たち」だと思います。アメリカの原爆投下を国際法違反だとし、被爆者への支援に怠惰な「政治の貧困」を嘆くなどということは、なかなかできることではないからです。
国際法への影響
1996年の国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見は、「核兵器は潜在的に破滅的なものである。…核兵器は、あらゆる文明と地球上の生態系とを破壊する潜在力を持っている。…核兵器の使用は、将来の世代に対する重大な危険となる。イオン化を引き起こす放射線は、将来の環境、食糧および海洋生態系に損害を与え、将来世代の遺伝的欠陥や疾患を引き起こす潜在力を持っている」と、「原爆裁判」と同じ核兵器の非人道性を指摘しています。
しかし、「裁判所はここで『核抑止政策』として知られている慣行に関し判断を下すつもりはない。裁判所は、多くの国が、冷戦時代の大半の時期に、この慣行を支持し、今なお支持していることに留意する」と言っています。国際司法裁判所の意見は、「核抑止論」の呪縛から逃れていなかったということを私たちは見ておく必要があると思います。
核兵器禁止条約は、壊滅的な結末を避けるためには「核兵器を完全に廃棄することが唯一の方法」としています。自衛権行使の場合の例外も認めていません。核兵器の廃棄が決意され、核抑止論は克服されているわけです。
1963年の「原爆裁判」は、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見を経由し、2017年の核兵器禁止条約の採択、2021年1月の発効へと続いています。核兵器禁止条約の9月25日現在の署名国は94で、批准は73カ国になっています。国際社会は「核抑止論」を克服し、「核兵器なき世界」を実現するための法的枠組みを作り出し、それを運用していることを確認しておく必要があると思います。
「原爆裁判」判決の限界と憲法9条
「原爆裁判」判決は、「戦争を全く廃止するか少なくとも最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは、人類共通の希望」と言っていますが、日本国憲法は戦争も、戦力も、交戦権も放棄しています。1946年11月に内閣が発行した新憲法の解説は、「一度戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまうことを真剣に憂えているのである。ここに於いて本章(2章・9条)の有する重大な積極的意義を知るのである」と言っています。
いま、ロシアは核兵器使用なしでウクライナを侵略していますし、イスラエルはパレスチナに戦争を仕掛けてジェノサイドを行っています。戦争という手段がある限り、核兵器は最終兵器だから手放さない人が出てくるし、現に世界はそうなっています。だから、核兵器廃絶と9条の擁護・世界化をリンクさせなければいけないのではないか。そうでなければ、核兵器も戦争なくならないのではないか、これが私の問題意識です。
