最高裁、理不尽にもほどがありませんか!
~辺野古代執行訴訟・上告受理申立不受理決定を憂う~

24.3.15 白藤 博行 専修大学名誉教授・会常任世話人


 最高裁は、2024年2月29日、福岡高裁那覇支部2023年12月20日「代執行判決」(以下「12.20高判」)に対する沖縄県知事の上告受理申立てを不受理とした。この「代執行訴訟」については、「非核の政府を求める会ニュース第383号」(2023年10月15日号)で、裁判所は、「代執行等」関与の三要件(自治法245条の8第1項)、すなわち①知事の法定受託事務の管理・執行(本件では埋立変更承認)が法令の規定に違反すること、②「代執行等」関与以外の措置による是正が困難であること、および③それを放置することによる著しい公益侵害が明白であることの三要件が満たされていることを実体的に審査しなければならないことを述べた。「12.20高判」は、いずれの要件も充足しているとして、国交大臣が行った「指示」の内容どおり、知事に対して、期限を限って変更承認を行うことを命ずる判決を行ったが、これに従わなかったため国交大臣は知事に代わって変更承認を行った(代執行)。
 知事の上告受理申立てに対する最高裁の「調書(決定)」は、「本件を上告審として受理しない。」との主文に、「本件は、民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。」との理由が付された極めてシンプルなものである。ちなみに、上告受理申立てとは、原判決について判例違反その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むことを理由とする場合に限って認められ、受理されれば上告されたものとして取り扱われるが、受理にかかる最高裁の裁量権の範囲は極めて広い。しかも、税法上の青色申告に対する更正決定においてさえ根拠条文を示すだけでは不十分であり具体的な理由付記が求められるところ、不受理の理由が民訴法318条1項とかかれるだけでは、具体的判断の内容は皆目見当がつかない。

 本件の最重要論点は、海底軟弱地盤の改良工事等にかかる沖縄防衛局の変更承認申請に対して行った知事の変更不承認処分の実体的違法性である。「12.20高判」の実体的審査は十分になされたのであろうか。
 本件は、そもそも沖縄防衛局が国民になりすまし、知事の不承認処分の取消しを求める審査請求を行い、審査庁=裁決庁である国交大臣がこれに取消裁決で応じ、さらに関与庁として変更承認を求める是正の指示の関与まで行い、最後は代執行まで行うというトンデモ事件である。最高裁は、是正の指示の取消訴訟において、2023年9月4日、国交大臣の「裁決の拘束力」(行政不服審査法52条)を唯一の根拠として、取消裁決の趣旨に従わない知事に対する是正の指示は適法な関与であると判断した(以下「9.4最判」)。この点、「12.20高判」は、代執行訴訟にいたるまでの「9.4最判」において、すでに知事の変更不承認が公有水面埋立法の規定に違反するとした国交大臣の取消裁決や是正の指示が適法に確定していると判断している。その理由は、国交大臣の取消裁決と是正の指示を適法とした原審・福岡高裁那覇支部の判断(2023年3月16日、以下「3.16高判」)は同様の実体判断を行っており、「9.4最判」もこれを「結論において是認」していることから、「9.4最判」もまた知事の変更不承認処分の違法性について実体判断をしていると推論して、もはや代執行要件①にかかる実体審理を必要としないとして「法令違反等の要件に該当する」と判示している。
 しかし、「9.4最判」は、「裁決の拘束力」に違反する行為は違法であり、それゆえこれに対する「是正の指示」は適法であるとしただけであり、それ以上でも以下でもない形式的審査に徹したものである。したがって、このような実体的審査を欠いた「9.4最判」が確定しているからといって、代執行訴訟における知事の法定受託事務の管理執行の「法令違反等の要件」の実体審理が不要となるいわれはない。
 代執行訴訟は、たしかに機関委任事務時代の職務執行命令訴訟の残滓(ざんし)の性格を帯びるが、憲法の地方自治保障の具体化としての1999年改正地方自治法の国の関与の制限の仕組みにおいては、国の違法な関与に抗(あらが)う最後の法廷舞台であり、自治体にとっては「権利としての代執行訴訟」とでも解すべきものである。この点、最高裁1960年6月17日判決が職務執行命令訴訟制度における裁判所の審査権の範囲は実体的審査に及ぶとしたことを忘れてはならない。最高裁は、機関委任事務にかかる職務執行命令訴訟についてすら、「地方公共団体の長本来の地位の自主独立性の尊重」と「国の指揮監督権の実効性の確保との間の調和」を図るために、「裁判所が国の当該指揮命令の内容の適否を実質的に審査することは当然であつて、…形式的審査で足りるとした原審の判断は正当でない。」と判示している。これを踏まえて、松本英昭(元自治省事務次官)は、「この考え方に従えば、裁判所は、『法定受託事務』の管理執行について、法令若しくは処分に違反するものがあるかどうか、又はその管理執行を怠っているかどうか、その是正を図る方法がほかにないかどうか、それを放置することが著しく公益を害することが明らかかどうかなどのほか、各大臣の指示が適法がどうかについても実質的に審査をおこなうこととなる」と明言する。もはや、代執行訴訟における裁判所の審査権は実体的審査に及ぶべきことは判例・通説であることが明らかである。「12.20高判」が「9.4最判」をよりどころにして、代執行訴訟における法令違反の実体審理を不要としたのは、判例・通説違反である

 沖縄県知事は、沖縄県民の「民意」に寄り添い、その具体化に奮闘してきた。知事の「訴え」は、県民の「訴え」である。この「訴え」に、「民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。」とは不適切にもほどがある。憲法の地方自治の保障の「原理」も、これを具体化する地方自治法の「法理」も、沖縄の人々の「道理」も、なんらの「理」も尽くされていない。これでは国民・県民の信頼にたる司法となりえまい。 一連の辺野古訴訟では、知事が県民の「命」の叫びを代弁してきたことを忘れてはならない。「命」の動詞形が「生きる」であるとすれば、最高裁は、沖縄県民の「命」も「生きる」も見ていないのではないか。歌手・中島みゆきは、命に付けた名前を「心」と呼ぶ(「命の別名」)。これによれば、沖縄県民の「心」も踏みにじったことになる。司法には、人間の尊厳を守護する最後の砦になってほしいと祈るばかりである。