原爆投下責任を問わない日米の和解・未来志向

23.11.15 駒場忠親(元自治労連委員長・会常任世話人)

 

 原爆投下から78年、被爆地広島が揺れている。G7広島サミットが終わって間もない9月21日、広島市市民局長が「米国の原爆投下責任の議論を現時点では棚上げする」と議会で答弁したからだ。一方で松井一實市長は記者に問われ「調整済みの文言で和解の精神・未来志向をめざすもの」(記者会見・10月27日)と応えている。
 広島市は6月29日、平和記念公園とパールハーバー国立記念公園との姉妹公園協定を締結したが、答弁はその趣旨を問われて飛び出したもの。締結はG7広島サミットを控えた4月に米国から打診があり、市は「サミットで発表された核軍縮に関する『広島ビジョン』の機運醸成につながる」(副島英樹・「朝日」)と申し出を受けた。締結後、エマニュエル米駐日大使は「かつて対立の場であった両公園は和解の場となった」と語っている。
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 棚上げ答弁の反響は大きく、市は早々と釈明を余儀なくされた。翌9月22日、市民局長は市議会で、答弁の趣旨を「協定が米国の責任を不問・免罪にするためのものではないことを理解してもらうために用いた」

と弁明。後に和解の精神を「あくまで現時点では責任にかかわる議論を双方で棚上げして、二度と戦争の惨禍を繰り返すべきではないという考え方」と述べた。
 だが懸念は残る。協定が2つの公園を「戦争の始まりと終焉の地」と位置付けているからだ。誤った歴史認識の原爆神話がそれに重なる。原爆神話とは「原爆投下で日本を早く降伏させ、犠牲になるはずの多くの米兵、日本人の命が救われた」(『トルーマン回顧録』)と原爆投下を正当化したもの。つまり市は議論の棚上げ前、すでに米国の原爆投下責任を容認していると危惧されるのだ。市民からも「米国の描いたストーリーが前面に出た協定を結べば、広島が原爆の使用と米国の核政策を正当化することになる」(秋葉忠利・前広島市長)と危ぶまれている。
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 懸念はそれにとどまらない。日本政府の米国の原爆投下責任への態度を容認することにもつながるからだ。
 日本政府の態度とは、1955年に開始された原爆裁判で「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした」(東京地裁判決・下級裁判所民事裁判例集1963年)と主張したものだ。原爆裁判は、広島、長崎の被爆者が国を相手に、精神的損害に対する損害賠償と、米国の原爆投下を国際法違反と認定することを求めたもので、東京地裁が原爆投下は国際法に違反すると判決したことで知られている。日本政府はここで、原爆投下は国際法に違反しないと米国政府を擁護し、あまつさえ原爆神話を忠実になぞったのだ。
 それから50年余、その態度は今も続く。日本政府は2014年、原爆裁判で主張した原爆投下への見解を問われ「原爆投下は人道上極めて遺憾な事態を生じさせたものと認識している」「核兵器の使用は人道主義の精神に合致しない」と触れたが、当時主張した「原爆使用が日本の降伏を早めた」「双方の人名殺傷を防いだ」とする原爆神話を否定しなかった(第187国会質問主意書への答弁)。
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 さて、松井市長は協定を「理性を持って和解し、未来志向で平和を求める象徴にしたい」と述べた。だが批判のひとつに広島市は日米両政府に和解と未来志向という言葉で「政治利用」されたのではないかというものがある。協定で和解と未来志向を強調したエマニュエル米大使の「過去30年の日米同盟は守りの同盟、これからの30年は攻めの同盟だろう」(「東京」2022年9月)という言葉が、その懸念を強くする。いうまでもなく日米同盟の軸は核抑止力だ。
 締結の元をたどれば安倍首相(当時)の米連邦両院合同会議演説に行きつく。2015年5月のことだ。その後、16年5月のオバマ米大統領(当時)の広島訪問、12月の安倍首相の真珠湾慰霊へと続く。キーワードは「謝罪なき外交」。安倍は当時を「この2年間で戦後問題に決着をつけた」と振り返り、謝罪しなかったが両国を同盟国として結びつけたのは「和解の力」(『安倍晋三回顧録』、中央公論新書)と自賛した。では安倍はなぜ和解に力を入れたのだろうか。安倍は言う、「先の大戦の『わだかまり』が存在し連携の深化を妨げている。払拭する『和解』で『戦後の克服』に力を入れたい」(「産経」20年9月)というものだ。その本質は「謝罪なき和解を見事に達成し、歴史問題がなくなった日米は、次元を超えて関係が深まった」(外務省幹部・同前)というもの。それから歴史の駒は米軍と行動を共にする戦争法の法制化、「敵基地攻撃能力保有」「防衛費GDP2%」を含む安保3文書の閣議決定(2022年12月)へと一気に進んだ。
 協定調印式にはオバマから「日米同盟深化の重要な一歩となった」と祝電が寄せられた。先のエマニュエル米大使の和解、未来志向へのうさん臭さとともに、平和と核廃絶を望む広島が「政治利用」されたのではないかとの懸念の元はここにある。
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 ところで42年前の2月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が広島を訪れ、平和をアピールした。訴えは平和のよりどころとして造形化され、広島平和記念公園に碑となって今も残る。教皇は、過去を振り返ることは将来に対する責任を担うこと、広島を考えることは核戦争を拒否すること、平和に対して責任をとることと訴えた。
 原爆投下責任を棚上げした広島市には何とも皮肉だが、和解、未来志向は教皇が唱えるように、過去の歴史に正対し責任を問うことから生まれるものだ。市民団体(共同代表・秋葉前広島市長)から協定を白紙に戻し市民との議論の場を設けるべきとの声が出ているが、国際社会の世論とも言える。
 松井市長が会長の平和首長会議は、政府に対して10月19日、第2回核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加と、一刻も早い核兵器禁止条約への署名・批准を求めた。平和首長会議には世界166ヵ国・地域8311都市が加盟し、日本国内都市は1739都市(全自治体の99・9%)が参加している。先の要請ではロシアによる核威嚇を非難し、一方で自らの核抑止を正当化した「G7広島ビジョン」へも、「核抑止論は破綻していることを直視すべき」と批判をくわえている。松井市長が核兵器禁止条約を採択した国連総会(2017年)で、国際社会に条約への署名・批准を求めた姿は記憶に新しい。松井市長はその日、日本政府が条約に背を向ける中、核兵器が持つ絶対的な「悪」、被爆者の苦悩を体現し、国際社会に向けて被爆地の責務を果たしたのだった。
 ローマ教皇は「戦争は死です。広島の町、平和記念堂ほど強烈に、この心理を訴えている場所はほかにありません」という。被爆者や国際社会は、原爆を投下した米国の責任を問いながら核兵器の廃絶をめざす、そんな国際平和都市広島を求めているのではないだろうか。